神村恵企画 ブレイン・ストライキ vol.2
~「政治的」とは~
3.11からほぼ2年半が経ちます。
震災や原発事故、そこから生じた色々な出来事は、本質的にはこの国や社会を何も変えていないかもしれませんが、少なくともそれまで見ないようにしてきたことや考える必要も感じていなかった問題を、考えざるを得ないところまで引きずり出してきたと思います。私個人の経験について言うと、まず実家のままだった住民票を現住所に移すというところから、選挙に行くようになったり、近代史を勉強し始めたり、いくつかの小さい変化を通過して、それまで避けてきた「政治的」なものと向き合うようになってきました。
でも、「政治的」って本当はどういうことなのだろう?投票に行けばその人は政治的で、棄権すれば政治的でないのか?デモに行くことはそれだけで即「政治的」な行動なのか?逆に、表立ったアクションを何も起こしていない人は、「政治的」に振る舞っていないことになるのだろうか?
おそらく、行動に移すかどうか以前に、この社会を今後どう作るかを本気で自分で考える、ということが「政治的」な態度の始まりではないかというのが、今のところの私の考えです。たとえ現実的にすぐには変わるものではなくても、その態度をまず持ち続けること。そして、出来上がっている制度を自明のものとするのではなくて、いかに白紙の部分から考えることができるか。芸術は、現実的なアクションを起こすためのものだけでなく、まずそのような基本的な態度を養い形作るものであろう、と思います。
でも、「政治的」って本当はどういうことなのだろう?投票に行けばその人は政治的で、棄権すれば政治的でないのか?デモに行くことはそれだけで即「政治的」な行動なのか?逆に、表立ったアクションを何も起こしていない人は、「政治的」に振る舞っていないことになるのだろうか?
おそらく、行動に移すかどうか以前に、この社会を今後どう作るかを本気で自分で考える、ということが「政治的」な態度の始まりではないかというのが、今のところの私の考えです。たとえ現実的にすぐには変わるものではなくても、その態度をまず持ち続けること。そして、出来上がっている制度を自明のものとするのではなくて、いかに白紙の部分から考えることができるか。芸術は、現実的なアクションを起こすためのものだけでなく、まずそのような基本的な態度を養い形作るものであろう、と思います。
東日本大震災と原発事故のあと私は、この国はなくなるんじゃないか、というリアルな手応えと恐怖を感じました。(同じように感じた人も多かったのではと思います。)それまで私は、今の社会全般について、自分一人が行動を起こしたところで何も変わらない、かといってそれらは大きな失敗もせず、これまでのような感じで漫然と続いていくだろうという思いを持っていました。しかし、3.11でそのイメージはあっさり覆されました。
自分がそれまで当たり前に享受してきて、今後もそうし続けられるだろうと思ってきたことがら、インターネットや電車や劇場やスーパーや救急車など、それら全てが消えてなくなるかもしれない、という可能性をすぐ隣に感じ、同時に、自分もその社会を作ったり考えたりする責任の一端を担っていることを、初めて自覚しました。
今回は、ゲストの方からの話を呼び水に、参加者の方からもたくさん話を聞きたいと思っています(なのでこの料金設定です)。まずは、3.11って自分にとってはぶっちゃけどうだったの?何をした?という具体的なところから、話を進めていきます。そして、その私たち個人の考えの変化や小さいアクションが寄せ集まって、「政治」としてどういううねりを持って動いていくのか、考えてみたいと思います。ご参加、お待ちしています。 神村恵
■日時:2013年9月7日(土)18時~20時(開場17時半)
■料金:500円+カンパ(ワンドリンク付き)
■定員:40名(先着順)
■会場:小金井アートスポットシャトー2F
〒184-0004 東京都小金井市本町6-5-3シャトー小金井2階
JR中央線「武蔵小金井駅」南口徒歩5分 (地図→)
■ご予約・お問い合わせ yuruyogakoganei@gmail.com
氏名(ふりがな)、参加人数、連絡先を明記の上お申し込みください。
■ゲストプロフィール
木下ちがや
1971年生まれ。一橋大学社会学研究科単位取得退学、社会学博士。
共著に「移動と革命ーディアスポラたちの世界史」、「Japan and the High Treason Incident」など。
翻訳にデビット・ハーヴェイ「新自由主義」、ノーム・チョムスキー「アナキズム論」など。
井手実
1979年生まれ。多摩美術大学美術学部彫刻学科卒業。 表現形態は彫刻のみならず、映像、パフォーマンスと多岐にわたる。 彫刻とパフォーマンスを往来し、ミニマルな物質とアナログなライブアートのミッシングリンクした関係性が高い評価を得る。鈴木ユキオ、捩子ぴじん等の演出 作品への舞台美術制作や、ライブインスタレーションユニット「紐泡霧」、バンド「JOHNS TOWN ALOHA」を経て「CROCODILE COX AND THE DISASTER」の活動に参加。
高嶋晋一
1978 年生まれ。美術家。主な展覧会・公演に「インターイメージとしての身体」(山口情報芸術センター、09)、「気象と終身―寝違えの設置、麻痺による交通」 (橋本聡との共同企画、アサヒ・アートスクエア、10)、「14の夕べ」(東京国立近代美術館、12)など。主な評論、エッセイに「コンセプチュアリズム が流産するのは原理上避けえないことなのか?――ジェローム・ベルの方法を端緒として」「欠如と余計の使い途について」など。
1971年生まれ。一橋大学社会学研究科単位取得退学、社会学博士。
共著に「移動と革命ーディアスポラたちの世界史」、「Japan and the High Treason Incident」など。
翻訳にデビット・ハーヴェイ「新自由主義」、ノーム・チョムスキー「アナキズム論」など。
井手実
1979年生まれ。多摩美術大学美術学部彫刻学科卒業。 表現形態は彫刻のみならず、映像、パフォーマンスと多岐にわたる。 彫刻とパフォーマンスを往来し、ミニマルな物質とアナログなライブアートのミッシングリンクした関係性が高い評価を得る。鈴木ユキオ、捩子ぴじん等の演出 作品への舞台美術制作や、ライブインスタレーションユニット「紐泡霧」、バンド「JOHNS TOWN ALOHA」を経て「CROCODILE COX AND THE DISASTER」の活動に参加。
高嶋晋一
1978 年生まれ。美術家。主な展覧会・公演に「インターイメージとしての身体」(山口情報芸術センター、09)、「気象と終身―寝違えの設置、麻痺による交通」 (橋本聡との共同企画、アサヒ・アートスクエア、10)、「14の夕べ」(東京国立近代美術館、12)など。主な評論、エッセイに「コンセプチュアリズム が流産するのは原理上避けえないことなのか?――ジェローム・ベルの方法を端緒として」「欠如と余計の使い途について」など。
■ブレストとは?
何となく思考停止している脳みそを、あからさまに停止させて別の動かし方を発見しようというイベントシリーズ。毎回異なるテーマのもとにゲストを招き、トークやWS、パフォーマンスなどを行います。1回目はダンサー・振付家の東野祥子さんによる即興ワークショップを行いました。前回のレポートは→ http://chateau2f.blogspot.jp/2013/08/vol1.html